夕食の支度が進むダイニングフロアに、トマトとコンソメの香りが漂う
今夜のスープは具沢山の特製ミネストローネだ
「それにしても嬉しいわ、ブルマさんがお手伝いしたいだなんて」
「そ、そう?」
「だって、ブルマさんとご飯支度するのなんて本当に久々だもの♪」
「まぁね……」
母親に指示された通りの調味料を鍋の中に加えながら、ブルマはぎこちなく返事をした
はっきり言って、ブルマが母と肩を並べて食事作りに携わるのはいつ振りかというほど稀なものであった
自他ともに認める世話好きな性格は両親から受け継いだものだが、少なくとも料理の腕前に関しては例外だったようだ
学校の実習のため、恋人のためと、何度か挑戦はしてみたものの、今まであまり芳しい感想を貰った事はなかったのだ
ゆえに自分に向かないことはやらない。やる必要もないのだと自分に言い聞かせ、日頃の料理はほとんど母にまかせっきりであった
よって今回も食材切りや皿の用意など、調味に関わらない手伝いをする気でいたのだが、母の強い勧めによりブルマがスープを担当することになったのだ
いくら簡単なレシピだと言い聞かせられても正直、前例を考えると上手く仕上がる自信など微塵も沸き起こらなかった
「あらっ?んまぁ~~べジータちゃん!!♪」
唐突にあの男の名を呼ぶ母親の声にギクリと顔を向けると、その“ベジータ”がダイニングの入り口に立ち尽くしていた
ボロボロの戦闘服にこそ変わりはないが、薄汚れていたはずの外見が心なしかサッパリしている気がする……
先程自分が彼にタオルを置いてやった事を思い出す
まさか、と目を丸くするブルマを知ってか知らずか、べジータは中へ進んで食卓テーブルの椅子にドッカリと座りこんだ
(えっ、な、何?……食べていく気なの??)
べジータが他人と食事を共にするのは、初めて招き入れたあの日以来無かった事だった
いつもなら、動物が畑を荒らすように人のいない隙を見計らって冷蔵庫を漁っていくのが常套手段である
どういう風の吹き回しか、それとも、よっぽど腹を空かせているのだろうか
「まぁまぁ、帰ってらしたのね!お久しぶりだわ~♪今日はお夕飯食べて行かれるのかしら?」
べジータの姿を見留めると、母は身をよじらせて大袈裟に喜びを表現する
母の問いかけにべジータは鼻を鳴らしただけだったが、母はそれをイエスと受け取ったようだ
「大変!!それじゃべジータちゃんの分も沢山作らないと!ごめんなさいねべジータちゃん、もうちょっと待っててね♪」
言い終わるが早いか、母は鼻唄を歌いながら追加の食材を用意するためにキッチン奥の貯蔵室へと向かっていった
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実のところ、あの日の豪勢な夕食はブルマの要請によって母がこしらえたものだった
最初に出されたものはほとんどが母親の手料理だったが、矢継ぎ早に要求される“おかわり”のために、母は数台の最新調理ロボを投入し、貯蔵庫が空になるまでひたすら料理を作り続けていたのだ
最後の品を作り終えてやっとお客様に挨拶をと、自ら運びがてら顔を出しに来たわけだが、ついぞその客人が母に感謝の言葉をかけるなどという事は全くなかった
しかしそれまでの料理をひとつ残らず平らげてくれたというだけで、苦労も忘れた母はベジータの事をいたく気に入ってしまったのだ
その時の様子を滔々と思い出しながら、ブルマはグツグツと目の前で煮詰まっていくスープをおたまで無心に回し続ける
(アタシなら、頑張って作ったものはちゃんと誉めてほしいけどな……)
と、奥へ消えたはずの母が戸口から顔だけ出して呼びかけてきた
「ブルマさん、そろそろ火は止めてね♪」
「わっ!?」
またやってしまったか
さほど難しい行程ではないはずなのだが、こればかりはどうにも感覚が掴めない
「ホントはお夕飯の時間まで少し寝かせておくと味が馴染むのだけれど……べジータちゃんお腹空いてらっしゃるでしょ?ブルマさん、先に少しよそってあげて」
「ぇえっ!?こっ、コレを……?」
この自分が作ったスープを、あのべジータに与えてやれと言うのか?どうせ露骨にマズい顔をされるのがオチだ
嫌な予感にハナから気分が落ち込むが、もうなるようにしかならない。ブルマは渋々深皿にスープをよそってスプーンと共にトレイに乗せ、さっきからムスッと座っている男の前に据えてやった
ジロリと横目でブルマを見上げる
「……アタシがさっき置いてったヤツはちゃんと食べたんでしょうね?」
「フン。あんなもの、なんの足しにもならん」
「あっそ」
短いやり取りを終えると、べジータは早速深皿を無造作に手掴みして口に持っていく
どう評価されるか内心不安でならないブルマは、そんなべジータの様子をじっと見守っていた
「―― っ!」
強靭な肉体を持つサイヤ人といえど、出来立てアツアツのスープは流石に舌に熱かったらしい
口に付けた深皿を引っ込めて苛立った表情を浮かべるが、少し考えてスプーンを持つと、今度は静かに息を吹き掛けながらゆっくりとすすり始める
べジータの意外な挙動が可笑しくなってきてしまって、ブルマは思わず口元を押さえた
「……さっきから何をジロジロ見ていやがる」
「別に?気にしなくていいわよ」
「給仕が済んだのならとっとと下がりやがれ!無礼な女め!!」
「な、何よ“給仕”って!アタシは召し使いじゃないわよ!!」
無礼は一体どっちなのか。文句をこらえてひとまず引き下がると、キッチンの影から再びべジータの様子をうかがう
期待と不安がない交ぜになり、複雑な気持ちを抱えたまま更なる反応を待った―― すると
「女」
空になった深皿を突き出し、口元を手の甲で拭いながら、ベジータは確かにこう要求した
「次を寄越せ」
(!?おっ、おかわり……したいの? と、いうことは)
言葉の意味を解釈したブルマは、みるみるうちに顔を綻ばせ、飛ぶようにべジータの元へと急いだ
「ホホホ!ただいまお持ちいたしますわぁ~♪」
差し出された深皿を軽やかに奪うと、唖然と目を点にしているべジータを尻目に、ブルマは小躍りしながらキッチンへ引っ込む
次、また次と上機嫌で何度も往復し、やがて気づいた頃には鍋の中身はすっかり底をついていた
黙々と口に運ぶべジータの反応に気をよくし、自分達家族の分を忘れてしまったのだ
「あっ……」
調子に乗ってしまった……中身のほとんど残っていない鍋を前に片手で額を押さえる
と、こんなタイミングで母親が貯蔵庫から大量の食材を乗せたワゴンを押して戻ってきた
「べジータちゃん、スープのお味はどうだったかしら?」
「フン」
「フフッ……べジータちゃん、聞いた?今日のスープはねぇ、ブルマさんが作ってくれたものなのよ♪」
「なっ……!?」
口を滑らせる母にバッと顔を上げるべジータを見て、ブルマはバタバタと母に詰め寄った
「ちょ、ちょっと母さん!やめてよ!」
「フフフ……あらまぁ!みんな飲んじゃったのね?良かったわね~ブルマさん、べジータちゃんに気に入ってもらえて♪」
「や、やだ……アタシは、別に」
別にべジータに認めてもらいたかったわけではない。ただ、自分の料理をまともに受け入れられた事が嬉しかった……それだけだ
急に頬が熱くなるのを感じて視線を泳がすと、こちらを向いているべジータと目が合ってしまった
しかしあろうことか、この男は眉元をひくつかせ、“不可解である”という顔をしていたのだ。少なくともブルマにはそう見えた
「なっ……なによその顔は!アタシが料理しちゃ悪いっての!?」
「……は??」
「ずっと美味しそうに食べてたくせに、なんて失礼なヤツ!ホント最低だわ!!」
先程とは別の意味で顔を真っ赤にして捲し立てると、グルリと踵を返してキッチンへ戻り、底のついた鍋を乱暴に流し台へ移す
「あらぁ……」
呆気にとられる母を気にもせず、怒り心頭のブルマはそのまま黙って鍋をすすぎ始めてしまった
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その日の夕食は久しぶりに騒がしいものとなった
ブリーフはスープの話を聞いて味を見たかったと心底残念がり、ブルマは先刻の不満を聞こえよがしに愚痴り、べジータはテーブル一杯に盛られた沢山の料理を黙々と口に運び、母はそんなべジータを見ながら終始ご機嫌であった
「ふーむ、ベジータくんが全部食べたと言うなら、ホントに成功だったんだろうなぁ。ブルマ、勘を忘れないうちに明日また作ってみてくれんかね」
「……ちゃんと同じに作れるかは保証しないわよ」
「うんうん、こりゃ今から明日の夕食が楽しみだ、ねぇママ♪」
「そうねぇパパ♪」
手を合わせてニコニコとする両親をよそに、ブルマは同席のお客サマに向かって親指をグイと差し向けた
「でも、もし上手くいったとしても、コイツには金輪際食べさせてやんないんだからね!いくら美味しくても、ア・タ・シが作った料理はお断りらしいから」
「そんなこと言わんで……お前の勘違いじゃよ」
「だって、“あり得ない”って顔したのよコイツ!!」
「まぁ、きっとただビックリしただけじゃよ……なぁベジータくん?」
骨付き肉を貪っていたべジータはいきなりブリーフに話を振られて動きを止めたまま、チラッとこちらへ視線を向ける
―― が、ダイニングに一瞬沈黙が流れたのみで、べジータは再び黙々と肉にかぶり付き始めた
「え……えーっと……?」
「フン、やっぱりね!弁解なんて期待してなかったわよ」
ブルマは物言わぬべジータと、自分を交互に見比べて苦笑いをする父親を睨みつけ、ツンと拗ねた態度でそっぽを向いた
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つづく
2016年10月17日